よくない言葉集

よくない言葉を連ねます。日本語が不自由なので閲覧非推奨です。

リアル ∩ バーチャル = ∅ か?

(ブログは慣れないので実質) 初投稿です.

 

はじめに

以前から度々話題に上げていますが, 僕は昨年からバーチャル YouTuber (以下 VTuber) にハマっています. とりわけ電脳少女シロちゃんが大好きです.

 

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シロちゃんは毎日動画を投稿しているので, 最近の僕の毎日の楽しみでもあります. その他にも, にじさんじやあにまーれなど, 配信メインの VTuber もひっそりと追っかけていたりしています.

 

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企業が携わる VTuber はやはりタレントを売り出すために力の入ったコンテンツを提供してくれますが, 個人運営でも有名な VTuber はたくさんいます.

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以上, ただの趣味紹介でした. ここからいろいろ書いていきます. 先に断っておきますが, こうした人々に対する批判をするわけではありません. あと, 口調が変わります.

 

バーチャルの存在

ここで, キズナアイさんも参加するバーチャルタレント支援プロジェクト "upd8" を運営する企業 "Activ8" の社長のインタビューを以下に示す. お分かりの通り, この業界の一線で活躍する人物であるので, もし興味があれば読んでおくことをおすすめする.

www.moguravr.com

ここでも述べられているとおり, バーチャル空間で活躍する VTuber 達は現実世界の自身から離れた存在が多いのが事実だ. VTuber の先達であるキズナアイさんも, 自身が "スーパーインテリ AI" であるとして活動をしているのである. なるほど. 誰がどう考えても生身の人間が活動しているというのに, わざわざそのような設定を背負って YouTuber として動画を投稿しているのである.

 

 もちろん, そうするなという趣旨の話ではない. もう一人の自分をバーチャル空間に置くことでしか表現できないものがあるからそうするのだ. AI だったり, 神様だったり, 動物だったり, ときには形を一つに留めない者もいる. そういった個性から作り出すことでファンを獲得し, クリエイターとしての表現を行う, そういう文化である.

 

しかし, ここ数日寂しい報告が相次いだ. 薬袋カルテさんや海月ねうさんといった高いクリエイティビティを持つ VTuber が引退を表明したのである.

 

 

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僕はこの2つを見て, 現状に大きな疑問を抱いた. バーチャルタレントがバーチャルの域を超えたいというのである. 何がそうさせた?どうして VTuber を辞めなければ実現できないのか?

 

ここで, 先程の話に戻る. 彼女たちも含め, VTuber は創作された存在で, 現実世界とは違った空間で活動するのである. 実はこの時点である種の齟齬を生んでいるのである. なぜなら我々ファンは現実世界から出ていないからだ. そしてややこしいことに, VTuber 達は現実世界から逃げ切れていないのである.

 

もう少し詳しく述べる. VTuber たちの持つ "創作された個性" は現実のそれとは離れていることはすでに述べた. ということは, 我々からすればそれらは非現実的な創作物に過ぎない. こうして我々の感覚は VTuber のキャラクターとしての側面に吸われていく. やがて, 生身の存在 (= 中の人) を意識することなく彼らの動画を楽しむことが出来る. それで終わればいいものの, 今度は VTuber 達が現実世界に介入してくるのだ. そうすることで我々リアルの存在と共有できるものが増えてくるからである. 度々断りを入れるが, これは批判ではない. 創作の形は様々であるべきで, それでうまく行く例がいくつもあるのだから正しいやり方の一つであると考えられる.

 

だが同時に問題を生んできた. "バーチャルの向こう側にあるリアル" の扱いがどんどん曖昧になってきた. 我々が見ているのはキャラクターなのか, それともその向こう側にある一人の人間が持つ "人格 " なのか (この辺りを書いているとき, キズナアイさんの生誕祭での言葉を思い出していた). 言い換えれば, VTuber の表面を楽しむのか, その奥にある一つの人格が作り出した YouTuber の動画を楽しむのか, そんなところである.

 

例えば, 僕は VTuber の "キャラクターとしての二次創作" があまり好きではない. キャラクターそのものが創作物であることはもちろん認めているが, そこに生身の人間としての人格が存在する以上は "ナマモノ" であるべきだからである (これは余談だが, 月ノ美兎さんのとある配信でなりきりアカウント同士が絡むという前代未聞の事件に触れられたときは流石に笑ってしまった). 尤も, そういったものをどう扱うかはその "人格" に委ねられるが, 二次創作文化が盛んなオタク共が安易にそれに手を出すのは控えるべきではないかと思う.

 

こうした曖昧さがかえって一部のバーチャルタレントの活動をやりにくくしてしまった. 先に上げた方のようなクリエイターとして活動していた VTuber がバーチャルの存在を徹底すれば, コミケなどの即売会に自身が向かうことはできず, 一生インターネットに囚われた存在になるだろう. その結果があのような引退表明だと考えるのはあまりにも容易だ.

 

曖昧なこの世界で自分をどう定義するかが鍵となる. それと同時に, 我々はその意図を常に理解しなければならない. 画面の目の前にいる存在がすべてただのキャラクターで終わるか, という問題は我々の頭の中に常になければまた同じ悲しみを生んでしまう. ここまで書いてきたことはほとんどが我々 "VTuber に飛びついたオタク" の意識改革を願うものであった訳だ.

 

おわりに

技術の進歩が著しくとも, それに関わる人間たちがそれと同じ速度で適応するわけでもない. この文化が文化として認知されるようになってからの日は浅すぎる. いや, どれだけ発展したとしても リアル ∩ バーチャル ≠ ∅ であることは変わりないだろう. それが嫌なら本物の "スーパーインテリ AI" を生み出すしかない.

 

僕はこの曖昧さに満ち溢れた環境は変わるべきだと思っているが, 現在活躍している方々が急な方針転換をすることを望んでいる訳ではないし, それぞれの個性を尖らせてたくさんのファンを獲得していって欲しいと願っている. そして, 我々は応援するからにはアニメの推しキャラと同じような架空の存在ではなく, 我々と (何らかの手段によるコミュニケーションにて) 接することの出来る現実の存在として見つめていくべきである.